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デモクリトス

デモクリトスの生涯と功績|残した名言・格言

デモクリトス

現在の私たちは、物質を細かく分割していくと、最後は原子にたどり着くということを知っています。

しかし、それも学校で教わったり本を読んだりして得た知識であって、そもそも原子は小さすぎて目では見えません。

現在では見えない原子を見るために電子顕微鏡を使います。
顕微鏡さえ発明されていなかった古代ギリシャ時代において、 デモクリトスは思索によって物質の根源を探り、「デモクリトスの原子論」を確立しました。

世界を変えた科学者「デモクリトス」を特集します。

デモクリトスの生涯

デモクリトスは紀元前470年頃にトラキア地方(現在のバルカン半島南東部)のアブデラに生まれます。

古代ギリシアの自然哲学者で原子論を創始したレウキッポスを師として原子論を学び、その体系を確立します。

デモクリトスは「スペルマタ」を説いたアナクサゴラスの弟子でもあり、ペルシアの僧侶やエジプトの神官に学び、エチオピアやインドにも旅行したと伝えられています。

財産を使いはたして故郷の兄弟に扶養されましたが、その著作の公開朗読により資産を築き、亡くなった後に国費で葬られたといいます。

デモクリトスは哲学・数学・天文学・音楽・詩学・倫理学・生物学など多方面に通じ、その博識のために民衆からは「知恵(ソフィア)」と呼ばれました。

デモクリトスの功績:原子論「アトム」の確立

アトム(atom)とは、ギリシャ語でこれ以上分割できないものを意味します。
現在も、原子のことを英語でアトムといいますが、この言葉の元になったのが、デモクリトスの考えである「アトム」です。

しかし、デモクリトスが生きた古代ギリシャ時代の原子論は直感と想像力によるもので、デモクリトスが考えた原子は、陽子と中性子でできた原子核の周りに陽子と同じだけの電子があるという現在知られている原子の姿とは異なるものでした。

デモクリトスの原子論は、アトムとアトムがない空間である「真空」を不可分のものとして考えられています。デモクリトスはアトムが運動する場として空虚(ケノン)があると考えました。
物質はアトムが結合したり分かれたりしてでき、アトムがないところにも、何もない空間があると考えたのです。

当時は、まったく何もない空間、つまり真空はないものとされていました。
古代ギリシャの思想において、ないものを想定すると、論理が展開できなくなったからでしょう。

古代ギリシアの哲学者のアリストテレスは、「自然は真空を嫌う」という言葉を残しています。
アリストテレスに代表される「真空は存在しない」という考え方は、17世紀まで続いていきました。

物質の根元についての学説は、アリストテレスが完成させた四大元素が優勢であり、デモクリトスが提唱した原子論は長らく顧みられる事はありませんでした。

「真空の存在」が認められるのは。17世紀のイタリアの科学者トリチェリが、水銀を入れたガラス管を容器に立てて大気圧を計り、ガラス管の先に初めて真空をつくり出した1643年のことでした。

長い間忘れられていたデモクリトスの原子論ですが、 トリチェリや18世紀にフランスの化学者で燃焼が酸素との結合であることを実証したラボアジェやイギリスの化学者で原子説を提唱したドルトンという化学者が登場し、脚光を浴びます。

ラボアジェやドルトンは元素というものの存在を考えると化学変化が合理的に説明できることに気がつきます。
ラボアジュやドルトンの登場により、近代的な物質の科学が始まっていますが、この元素という概念を最初に提示したのが、2000年も昔の古代ギリシャの学者・デモクリトスだったのです。

真理を探究したデモクリトス

生前、デモクリトスは世界の起源については語らなかったが、「いかなることも偶然によって起こりえない」と述べています。

思索のみで真理を探究したデモクリトスらしい言葉と言えるでしょう。

デモクリトスは、物質はみな原子という根源物質に還元できるという、還元論・唯物論の元祖ともいえます。

顕微鏡さえ発明されていなかった古代ギリシャ時代において、後に認められる原子論を確立したデモクリトスは世界を変えた科学者の一人といえるでしょう。

デモクリトスが残した名言・格言

「多くの愚者を友とするより、一人の知者を友とするべきである」

「祝祭のない生活とは、旅館のない、長い街道である」